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めちゃくちゃにされた人生 投薬編 発症・T病院(H13年9月)〜第一回退院・国立C大付属病院転院(H14年5月)

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先日の記事で全く植物とは無関係な、弟の記事を書きましたが、新たに弟関係のブログを立ち上げるまでは、便宜上こちらのブログに書くことにしました。
いずれ新ブログを作り次第、切り離します。ご興味のない方には大変ご迷惑をおかけいたします(読み飛ばしてね)


本当はきちんとした形で、新ブログを立ち上げるべきなのですが、新たに立ち上げるには気持ちの面でまだ準備ができていないのです。
立ち上げたら、精神科関係の記事オンリーになってしまうし、植物関係の記事を書ける時間が取れるかどうかわからないから。。。
ま、弱った自分への言い訳ですかね?(苦笑)
その反面、何かできないか?とも考えてしまったわけです。
弟がこういう事件に巻き込まれるまで医師や病院、こと精神科関係の現状がどうなっているのか、実際のところ、よくわかっていなかった…
しかし、関わっていくにつれ一応通常の常識・感覚を持ち合わせていると自負している(笑)私にとって「あれ??何この違和感・非常識」と思うところが多々出てきましてね。
例えそれが医師や病院、医療界にとっての常識であってもですね(あ〜、医師専用の掲示板で叩かれちゃうなぁw)


そんなわけで差し障りの無い程度に公表してみようと思った次第です。
まず、現段階において刑事事件として立件・処分されていないことなども勘案しまして、まず初めに弟が何故精神科を受診するようになったのか、どういう経緯で統合失調症と診断されたのか、またどういった投薬でジストニアが発生してしまったのかを公表したいと思う。


まず初めにお断りをしておきますが、このブログ、内容は私個人の独断で書いています。両親は無関係です。
両親と私とは、考え方に違う部分もありますし、視点も違うかもしれないし(と言うか違うと思う。両親とはよく衝突していたし、それが嫌で速攻で家を飛び出したので・爆)、父がこの件で交流している方々やお世話になっている会の方とも殆ど面識はおろか、交流もありません…
従って記事の内容、考え方も私個人の主観です(植物関係と同じスタンスです)
植物関係と同じで「自分の目で見たもの、調べて理解し納得したこと、経験したことなど」を書きたいと思っています。

(今まで私と関わったことのある方やこの植物ブログ〜前ブログの読者の方にはおわかりいただけるかと思います)
それと、植物ブログに精神関係の記事を併記することには個人的にも違和感がありますが(上に書いた理由もあるが)今まで病院関係や精神科に無縁だった方にも知っていただきたいと思うことがあるから暫くはこのブログに記載いたします。
無知とは罪である、と最近強く思うようになってきました(汗)



しかし、両親の立場などもあるので植物関係のように毒舌とはいきません(ここが辛い…)



また、読売新聞の記事及びヨミドクター「精神医療ルネサンス」の記事の中では「姉」=私が何度か登場しますが、私自身は前回記事に書きました通り
すでに結婚していて(私は2男の母親です。弟の2歳年上です)、両親と弟とは別居していたので、両親のように弟の行動や言動を「逐一」見ていたわけでもなく、今回の事件以前の精神科医療には全くといって良いほど関わっていません。


今回の事件で記者さんへの資料作成、インタビュー、また協力して下さる方へのメールや資料作成を両親に代わって私がしていたので、姉の私が深く関わっているような印象となってしまったと思います。


しかしながら、精神科へ受診する直前までは弟と会話を交わしたり、また弟のほうから我が家へ遊びに来たり相談に来たり(両親には言えないような内容の相談、また悩み言い分を聞いた)弟のアパートに遊びに行ったりといった交流はしていました。
それから精神科医療を受診後〜今回の件までも定期的に様子を見たりはしていましたので勿論無関係ではないです。
そこを踏まえてお読みいただければ幸いです。また、あまり見直さずに投稿しているため誤字脱字等はご容赦願います(気づいたら書き直します)

なお投薬の薬品名及び投与量は、カルテの開示を請求し、それを元に記載しています。



☆精神科受診以前のこと


小中学校では結構活発でスポーツも万能でしたね。
小学校の時はリレーにも出場していたし(紅白対抗や地区対抗リレー)サッカー部に所属、またスポーツテストでは優秀賞を受賞していました。
中学校では卓球部に3年間所属。小学校〜中学校は幼馴染もいて、わいわいと遊んでいたし、何人かとは大学に入学後も交流があったようです(友人とは地元でギターを弾いたり)
高校は県立の一応進学校と言われる高校に入学。記事では「ネクラ君」というくだりがありますが、それは友人から届いた年賀状に「ネクラ君w」みたいな感じで書いてあったためです。なので皆にそのように呼ばれていたかは不明。孤立とかしていたら、そもそも年賀状なんて届かないと思いますけど。
一浪してH大学社会学部に入学。
因みに…本人の希望のW大学は駿台模試でA判定(ある教科では全国1位)だったのが不合格で、他に合格した複数の大学(A大、S大、M大など)の中から適当?にH大を選んだ模様(いずれもマスコミ関連の学部)

始め神奈川のS市のアパートで一人暮らし。その時に私が遊びに行った時は様子に変わりはなく弟の家(いえ)電の留守電を聞くと数人の声で「お〜い、麻雀やるぞ〜、来いよ」というノリのいい調子の内容が録音されていた。
また夏休みには我が家へギターを抱えて遊びに来て大学のサークルの話や音楽の話などをした。余談だけど、私も以前バンドをやっていて弟にベースを貸したまま行方不明なんですけどね(苦笑)

あとは付き合っている彼女の話をちょこっと。サークルはテニス。私とカラオケにも一緒に行った。
その頃カラオケ店やKFCでバイトをしていた。


☆精神科受診直前


学年が変わり東京都のH市に引っ越してから様子がおかしくなり(実家に暗い様子の電話がかかってきた)不穏な空気を察知した両親が弟のアパートへ行くと
あまり食べていないためか痩せた弟(身長は179cm 体重は普段58kgくらい)
ノイローゼかと思った両親は一旦弟を実家へ連れてくる。
因みに後日、弟が精神科へ受診する直前に私に語ったところによると、サークルのコンパでお金がかかりバイトもしているが仕送りが少なめでやっていけないから友人からお金を借りたが返せないことを悩んでいたそうだ(金額的には1〜2万程度だが)それと付き合っていた彼女と別れたのだが、別れる際、何度も「死ね、死ねお前なんか死ね」という電話がかなりの期間、深夜問わず連日のようにかかってきて精神的に参ったということだった。


休学して自宅療養ということになったのだが、そのことが原因で家庭内でゴタゴタし(この部分は両親も関わってくるので残念ですが詳細に書くことができません)
妹や両親との諍いも増え、姉の私から見ると、弟は実家に居づらかったのだと思う。
両親に心配をかけさせ、休学と言えど少なくはない学費を両親に払わせ、更に休学で留年することになり、自分が邪魔者なんじゃないか、という考えを持ってしまったんだと思う。もしかしたら、休学ではなく両親には「もう退学してもいいよ、人生いくらでもやり直せるよ」という言葉が欲しかったのかもしれない。
私からしたら甘えてるなぁ、精神的に弱いな〜とも思ってしまうけど、人間誰もが精神的に強いわけではなので、ここら辺の個人的意見は割愛しておきます。
野生動物とは違い、弱い部分があるから人間なのかなぁとも思いますしね。感受性もあり、喜怒哀楽があるのが人間ですから(動物にもあるでしょうけど。いや生き物にはみなあるのかも??)
動物の場合は弱る・衰弱する=死を意味しますからね…

上記に加え、友人にお金を借りたまま返済していないという罪悪感、元彼女に死ね死ねと連日言われたら、大抵の人間は自信をなくしたり、何らかの心理的ダメージを受けるのではないかなぁ。


複合的な要因で落ち込んだのではと思う。それから心配になった両親が精神科を受診させた。
因みに何故T病院を選んだかというと、児童へのカウンセリングをやっていたり、当時病院・病棟をリニューアル+新しい病棟を増築中、綺麗で、暗い精神科病院というイメージがなかったため。
それが結果命取りになったわけですが。。。
人は見た目、表面から見てもその内面はわからない(或いは表のイメージとは一致しない)というのと、ある意味同義みたいだなと思う…






H13・9/27〜11/29(T病院・精神科)

診断名:鬱病

処方:パキシル10mg×1錠/day

鬱病でしょうとの診断でパキシル10mg 1日1錠を処方される。


パキシルを服用し始めてから諍いの回数が増える。それがパキシルのせいか否かは別として。
妹とは特に諍いの毎日で、具体的には「お兄ちゃんは学校にも行かずプラプラしているだけじゃん」と妹に言われ
弟も「お前だってフリーターで就職もせずいい加減じゃないか」(妹は現在就職していますが当時は専門学校を卒業後フリーターだった時期がありました)
それでつかみ合いの喧嘩寸前になったり(以前はそのようなことはなかった)
また両親に対し「俺は悪い人間だ。俺を警察に連れて行ってくれ、逮捕してもらいたい」
という言動をするようになった。自分が自宅にいることでトラブルが増えたことや、友人にお金を返し損ねたまま大学を遠ざかったことなどで色々追い詰められたうえでの言動のように思う。
また、両親に対し突っかかっていく回数も増えた。母親を突き飛ばしたり、父親に脅しのように殴る真似をしてみたり。
驚いて動けずにいる父に「ふん、情けない。それでも父親か?こうなったのはお前らのせいだ。俺はあんたを父親とは認めない」などの暴言を吐くようになった。
勿論、元々暴力的ではなかった。自分の思いや心情を理解してくれない両親に対しての苛立ち、やり場のない怒りや絶望感、また上手くいかないことを他者のせいにすることで心理的な圧迫感から逃れようとしていたのかもしれないと私は思う。
前後して、H市まで4時間近くかけ大学に通いだす。
無理がたたったためか、また思いつめたのか、両親に相談もせず勝手に大学に退学届けを提出した。






☆H13・11/30事件を起こす

当時、両親は社宅に住んでいたのだが、隣家が引越しをしてきた際、引越しの音が煩いと引越し業者の人を殴り弟自ら警察に通報した。
そして警察が来ると「僕が殴りました。逮捕してください」と自ら両手を差し出した。
両親が、被害を受けた引越し業者の方に事情を説明すると、引越し業者の方が「まだ将来のある若い方ですし、被害届も出しません」と仰ってくださり
示談ということで刑事事件化はしませんでしたが、警察からは一応暴力事件を起こしたのだから早急に病院へ行って診察を受けて欲しいと言われ、夕刻、T病院へ向かった。




診断名:統合失調症


処方:リスパダール2mg×2錠を朝夕1回/day(1日でリスパダール8mg)…資料には2錠(あるいは2回服用)を2Tと記載してありますが、意味の分からない方もいらっしゃると思いますので◯錠×◯/day(1日の服用量)と記載します。




事件を起こした夕刻、医師の診察で統合失調症と診断された。
医師は「う〜ん、やっぱり鬱病かなぁ?不安神経症かなぁ?わかんないなぁ〜。でも他人を殴る=暴力的ってことは統合失調症かも」
ということで統合失調症と診断された。因みにこの時点で幻覚・幻聴などはなかったし、少なくともその事件直前の私との会話の中で「こいつ、おかしいぞ?」と思わせるような部分は特になかった(例えば理論的に破綻した会話だとか、支離滅裂な内容などではなく至って普通。自分はこう思うのに両親はこう言う。理解してくれない。姉ちゃんはおかしいと思わない?などの内容。特に何とか妄想的な部分も見受けられず)





因みに処方された時点で医師からは何の薬なのか等、説明は一切なし(当然、副作用等の説明もなし。後日院長に情報開示を要求して統合失調症の薬と判明)




・リスパダール処方1日目…初めての服用。服用した直後首がガクンとうなだれて意識が飛んで朦朧状態。慌てて病院へ電話するも、そのまま横にして寝かせてくださいとだけ指示される。

・リスパダール処方2日目…やはり服用した直後、前日と同じ状態+チアノーゼが出る。またも心配した親が病院へ問い合わせるも大量の水を飲ませてくださいとだけの指示をされる。

・リスパダール処方3日目…服用後状況は相変わらず意識朦朧、首、体幹ともに傾斜、意識朦朧。少し回復したあと父と散歩に行くも、その途中に突然身体がひきつけを起こし、身体はエビのように反り返り、口からは少し泡を吹き悶え苦しみだしたため、救急車を呼び救急搬送。これって所謂、悪性症候群ではないのか??(1日目から)



そのまま搬送先のT病院へ入院することになった。
以下、入院中の処方です



入院H13・12/3〜12/5(T病院・精神科)
プロピタン50mg×2、アキネトン1mg×2/day


入院H13・12/6〜12/7(T病院・精神科)
プロピタン50mg×3、ウインタミン25mg×3、アキネトン1mg×3、ベンザリン5mg×1/day


入院H13・12/8〜1/3(T病院・精神科)
プロピタン50mg×4、メレリル50mg×4、セルシン5mg×3、アキネトン1mg×3、ベンザリン5mg×1、ヒルナミン25mg×1/day


入院〜1/3までは個室(鍵のついた)ではあったが、会話も普通、身の回りのこともきちんとでき(きれい好き)両親の差し入れていた本(マンガや文庫本)を読んで
両親から見ると穏やかそうに見えた。ほぼ毎日面会へ行った。
そろそろ相部屋へ移動できるか、状態も良さそうだからまたは退院も近いかもね、と思ったそうだ。





1/4〜突然の拘束


弟の状態が良くなってきたと思い、正月明けに面会に行った両親は驚くべき光景を目の当たりにしたのだった。
今までは静かに雑談をしたり本を読んでいた息子が次に面会に行ってみると突然肢体拘束され、目の焦点も合わず真上を向き、傍から見たら意識もあるのかどうかもわからないような、うつろな表情でベッドに縛り付けられていたからだ。勿論会話もできない状態。
病院側からは詳しい説明はなく、ただ「ベッドの端で逆立ちをしていたから、このままだと自殺する懸念があるため」という説明のみだった。
この真偽もはっきり言って不明です。病院側が詳しい説明をしてくれないから。この頃から両親はT病院へ対し不信感を募らせていった。
この後約3週間に渡り拘束。


偶然だろうが、今回の首の骨折事件も正月に起こったんですよね〜…



※拘束中はずっと同じような状態。両親が拘束を解いてくれとお願いしても却下。
理由はまだ自殺したいような不穏な言動があるためと病院側からの説明。
両親が面会に来ても、拘束状態で病室の天井をうつろな表情で、会話もできず意識があるのかないのかさえもわからない状態なのに
どうやったら自殺しそうな言動をとれると言うのだろうか。疑問だ。



拘束中の投薬・1/4〜1/6
プロピタン50mg×3、メレリル50mg×3、ジプレキサ5mg×1(後ほど血液検査で異常値となったため途中で中止)セルシン5mg×3、アキネトン1mg×3、ベンザリン5mg×1/day



拘束中の投薬・1/7〜1/14
プロピタン50mg×2、メレリル50mg×2、セルシン5mg×3、アキネトン1mg×3/day



拘束中の投薬・1/15〜1/16
ウインタミン25mg×4、セロクエル25mg×3、セルシン5mg×3、アキネトン1mg×3/day


拘束中の投薬・1/17〜1/20
ウインタミン25mg×4、セロクエル25mg×6、セルシン5mg×3、アキネトン1mg×3、ベンザリン5mg×1/day


拘束中の投薬・1/20〜1/28
セロクエル100mg×3、ウインタミン25mg×3、セルシン5mg×3、アキネトン1mg×3/day

※この頃からジストニア(首の斜頸が始まる)拘束解かれる


投薬・H14・1/29〜2/3
セロクエル100mg×4、ウインタミン25mg×3、セルシン5mg×3、アキネトン1mg×3/day


投薬・H14・2/4〜2/8
セロクエル100mg×6、ウインタミン25mg×3、セルシン5mg×3、アキネトン1mg×3/day


投薬・H14・2/9〜2/27
セロクエル100mg×4、ウインタミン25mg×3、セルシン5mg×3、アキネトン1mg×3/day
※この期間は原因不明の発熱のためセロクエルを減薬


投薬・H14・2/28〜3/8
セロクエル100mg×4、レボトミン5mg×3、セルシン5mg×3、アキネトン1mg×3、ウインタミン25mg×3、ベンザリン5mg×1/day


投薬・H14・3/9〜3/24
セロクエル100mg×2、セルシン5mg×3、アキネトン1mg×3、ベンザリン5mg×1/day
※この頃院長より暗に退院してくれ、というような話がでるようになる。
またジストニアが酷くなってからは担当医であった院長は流石にやばいと思ったのか、両親を避けるかのように居留守?両親の前に姿を現さなくなった。
ジストニア治療のため転院することになり、国立C大附属病院のベッドの空き待ち。


投薬・H14・3/25〜4/1
セロクエル100mg×2、グラマリール25mg×3、アーテン2mg×6、セルシン5mg×3、ベンザリン5mg×1/day



投薬・H14・4/2〜5/15
セロクエル100mg×2、グラマリール50mg×3、アーテン2mg×6、セルシン5mg×3、ベンザリン5mg×1/day


投薬・H14・5/16〜5/30
ルーラン4mg×1、セルシン5mg×3、アーテン2mg×6/day


5/30国立C大付属病院へジストニア治療のため転院した(C大付属病院では開放室)
今まで入院していたT病院、前日に別の若い医師が「退院時は僕もC大病院まで付き添いますから安心してくださいね」と優しく言ってくれたにも関わらず
退院当日はその医師はおろか、担当医である院長も姿を現さず。
入院当初からずっと弟を見守ってくださった職員の方の中には(時には院長に意見を言って、逆らうなと院長にボロカスに言われていた)弟の不憫を思い「かわいそうに」と泣いてしまう方もいらっしゃいました。
この頃すでに、顎が胸につくほど斜頸(ジストニア)し歩行もスロー。表情があまりなかった。




退院後、私は変わり果てた弟の姿を見て愕然とした。
入院直前までバイクで我が家に相談に来ていた弟が、退院してみたらベッドに横たわり首が曲がり顎が胸につき痩せ(推定50kg前後)
当然声も変わってしまい、話し方も変わってしまい顔つきも私の知っている弟ではなくなっていた。。。
よくなるために入院したはずが、こんなことになろうとは。


以前、入院前の会話は普通だと言ったけど例えばよく覚えている会話がある(内容は雑談)
弟がカップラーメンにお湯を注いでいたのだけど、お湯の量が多かったので


私「随分お湯入れるんだね〜。お湯を入れすぎると味が変わっちゃうじゃん」
弟「いや、わざとお湯を多く入れて腹を満たしてるんだよ。金ないし。味が薄くなっても腹が満たされる方が重要だよ」
私「質より量ってわけか。何?そこまで金銭的にやばいの?」
弟「特に仕送りのお金がなくなってきてバイトの給料が振り込まれる前は下手すると1日1食の場合もあるよ」



あとは
弟「今度M(幼馴染)がギターやるっていうから、俺もギター安いのだけど買ったんだ。ベースもやってみたいから、ちょっと貸して」
私「いいよ。でもギター弾けるの??(笑)」
弟「いやだから今練習してるんだよ〜。姉ちゃんとはジャンル違うし」因みに私は昔のエックス(japanになる前。taijiがいた頃)やラウドネス系でした。
私「どんな曲やるの?」
弟「DEEN(確か)とか。で、今聴いてるのはTUBEとかZARDとかたまに洋楽かな」
私「ああ、じゃあなんとか弾けるようになるかもね。頑張んなよ」

など至って普通の会話でした。





ところが退院後は
私「久しぶり。調子はどう?」
弟「…」
弟「(かすれる小さな声で)ちょっと…」(ジストニアで喉も圧迫され声が出にくい。多分呼吸も苦しい)



以後どんどん会話すらできなくなっていきました。というか、意味のある(通じる)会話を以降した記憶が無いです。





ここまでがジストニア治療前までの経緯の概要と投薬記録です。






もし、何かご意見がございましたらお願いいたします。
特に投薬関係についてのご意見、また今回の事件についてご意見ご感想、類似の事例を体験された方などいらっしゃいましたらご教示くださいませ。
今回から事前承認性ですがコメントを書き込めるようにいたしました。このブログには非公開コメントという機能がないようなので、非公開希望の方はその旨レスくださいませ。アップしません。
いただいたコメントにはなるべく返信いたします(ただ体調との兼ね合いもありますので、スローかもしれませんが。。。)


但し誹謗中傷の類、宗教及び◯◯会へのお誘いなどのコメントはアップしませんし、お返事はしませんことをご了承くださいませ。
それとまだ立件されていない事件であり、裁判も控えておりますので、病院名等の問い合わせ等には応じかねます。



長い文章ですが(また読みづらいですが)読んでくださりありがとうございました。






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